すきのしるしのきす

気持ちの整理。

人付き合い


が苦手なんだろうなと最近思う。小学生とか中学生くらいまではシンプルに人見知りだったけど、大きくなって段々となくなってきて、お店で店員さんにめちゃくちゃに絡まれても返せるくらい初対面の人に対するスキルは上がったように思う。

 一方で既に知り合っている人との付き合い方がまじでわからなすぎる、というか、会話がちぐはぐになってしまうんだけどこれ本当にわたしやばいんじゃないの。上手く相手に伝わってないなっていうのはわかるのに上手く伝えられない。上手く言葉が出てこないというか……。ただこれは知り合い程度、言ってしまえばそこまで仲が良いわけではない人に対してだけ起こるから結局はあんまり気の知れてない人に対しての付き合いが下手なだけなのかなとは思ったんだけど。

 それでもここ一年くらい友達と上手く付き合っていけない気がする。仲の良い友達の悪いところとか矛盾したところばかり見えてしまって萎えるし、この人っていつも自分にこんな対応だったっけな、って思うことが多い。忘れてたわけじゃないけどわたしは一度人の嫌な面をみてしまうとその後付き合っていくのがだいぶ大変になる頑固人間だったね。




 バンドを組んでいますが、仲が良いとバンドメンバーは違うなとつくづく思う。そんで仲良かったのにバンド組んでみて微妙だなって思ってその人自体を拒絶し始めるの。自分でも極端だしどんだけこだわり強いのって思うけどこればっかりはどうにも妥協ができない。

 相手と自分の愛情が同じくらいなほどカップルは長続きする、っていうのをきいたことがあるけれど、バンドにも言えることだと思う。相手と自分の活力が同じくらいなほどバンドは長続きするし惰性的にならない。普通に考えて自分と同じ活力でやってくれなかったらだいぶしんどくない? 自分ばかり頑張っているのではないかって気分にならない? 自分が自分が〜ってなりがちなのは自覚あるし、幸せになるための何箇条(みたいなやつ、忘れた)に「まぁいいや、とポジティブになること」と書いてあったなと思い出すけれど、まぁいいやと考えて自分の努力と活力を流してしまうことができないタイプの人間でした、わたしという生き物は。

 頑張ったぶんだけ、時間をかけたぶんだけ、報われたいと思うのはそんなに自己中心的な考えなのかな? 純粋に疑問。


 しんど。

なんとなく


 久しぶりにブログを更新する。ついでになんとなーくタイトルも変えてみた。

 だいすきなだいすきなバンドのボーカルが、ご自身のブログで使っていた回文。すき、とかきす、とか、ひらがなで書くととても可愛い。たぶんわたしはひらがながすきなのだろうなあと思う。ジャポニズムってこういうこと?(たぶんこれもなっちゃんの受け売り)


 そう、上述のだいすきなだいすきなバンドというのがパスピエという方たち。普段は妄想をするときやシチュエーションに浸るときにばっかり歌詞を意識するのだけど、彼らの曲ではそうでなくともかなり歌詞を意識して聴くことが多い。パスピエ、もといなっちゃんが書く歌詞というのは意味があるようで、ないようで、きっとあるんだけどそれはなっちゃんの中で広がった世界の一部分に触れているだけだから、なかなか全てを理解することは難しいのだと思う。聴いていて、みていてよくわからない歌詞。よくわからないというのは言い方が悪いのかもしれない、つかみどころがない? とらえられない? 難しい。

 日本語特有である韻を踏んだりとか、ひらがな、あとは〜なんだ、ではなく〜なのだ、っていう丁寧な言葉遣いがされてる歌詞がとてもすき。それがパスピエという世界観をつくっているんだなあと思う。こんなこと考えるくらいわたしはパスピエがすき。

 綺麗な言葉遣いをする人がすき。わたしは普段、そりゃあ話し言葉だから当然なのだけど、随分と口語的に話すほうだなと思う。だからこうしてブログだけでも丁寧な言葉遣い(でもこれも正しいのかはわからない、でも丁寧にしようとしているつもりだよ)を心掛けてみてたりする。ほんと、いつもはひどい、〜じゃねーよ、とか〜なんじゃね?とか。口語だし、各地の方言とかなまりとか、とてもすきなんだけど日本語のいちばん綺麗な使い方をしてみたいなといつも思う。敬語とかもね。だからなっちゃんが書く歌詞も、ライブ中に話してる言葉もすき。というかなっちゃんから生まれる言葉が綺麗ですきなのかな、そこまで心酔していると思ったら自分でもひきそう。

 なに書こうと思ったか忘れちゃった。とにかくパスピエがすきですきですきすぎるからパスピエ、とくになっちゃんについて書こうと思ったのだけれど。そんなわたしのパスピエコピーバンドでの役割はキーボードです。ナリハネのつくる音楽の美しさについてはまた今度。


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 およそ二年前にわたしはLGBTのLなのかBなのかどっちなのかと考えた形跡がここのブログに残っていたけれど、いまは何故かありがたいことに男性の恋人がいるのでBなのかな? と今更ながらに答え合わせをしてみた。女性とお付き合いのようなものをしていたこともあったけど、自分の中で本当に恋愛してるな、と思ったのは前回の男性と今お付き合いしている男性かなと思う。でもあの頃は中学生だったので、まだ付き合うことをちゃんとわかってなかったような気もする。恋をするたびに、今まででいちばんすき! ってなってしまうタイプだけど、これは大げさでもなんでもなくて、自分のなかでは本当にその重みが違う気がして、だからこれからも別の方とお付き合いする機会があるとすれば、そこでもまた成長していくのかなと思う。よくわからなくなってきちゃった。昔の自分のことは子どもだと思うけど、数年後のわたしからしたら、今のわたしはきっとこども。

 成長=大人になる、と思っているうちは、永遠にゴール=大人なんてこないのだろう。

ここ数週間のこと

やっとこさしんどい学祭も泥まみれ(物理)になったフェスも終わって一息つくことができたわけだけども。
   学祭おわりのエモが来る前にただひたすらに行き場のないイライラだけが溜まって、人に当たり散らすわ口は悪いわで最悪な二日感を過ごしているわたしです。

   社会不適合者だなと、特にここ一、二年ですごく感じている。なにか嫌なことがあれば、自分とは合わないと投げ出し逃げ出そうとしている。ただそれを繰り返すことは将来社会人になって本格的に社会不適合者になってしまうので避けたいと心では思っていて、でもそうすると心が疲れてしまって、誰に心から話せるわけでもなく(いろいろな案件が重なっているため)溜めるに溜めて嫌になった結果今回のブログ設立に至りました(笑)身内以外、わたしのことを知らない誰かがこれを少しでも読んでくれることでストレス発散しようとしているたちです。もうすでに日本語がぐちゃぐちゃだわ。見てるか見てないかわからない人、及び自分のなかではっきりさせるために明記しよう、わたしはLGBTのL或いはBです。

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   彼女は紛れも無いクズ気質なので大学の友人の中で、というか今まで出会ってきた人たちの中でかなりお気に入りの分類だった。わたしがこんなメンヘラってる話とか、男にたらされた話とか、そういうのも話せたし、彼女は彼女なりに爆弾話教えてくれたりで、結構仲が良いって思ってる。けど彼女はそういうのを口にしない、口にしたら萎えるたちなのでそう思ってるのはわたしだけなのかも。わたしの友人という領域も狭いけど、彼女のはもっと狭そう。学科と部活が同じくらいにしか思ってないのかな。でもその同じ部活の同期では一番仲の良い女友達だって自負してた、消去法だけど。でも最近そうじゃないんじゃないかって思うようになった。わたしよりあの子のほうが仲の良い友達なのかなって思ってしまって、それがとてもつらいし、そんなこと気にする自分がおもっき女子すぎて正直ひく。余計に厄介なのがわたしが彼女のことを好きなこと。友人として嫉妬なのか恋愛感情として嫉妬なのか、どちらにせよ最高に鬱陶しいので早々にこんな感情など捨てたいのである。むこうもBだったらいいのになーなんちゃって。

   その嫉妬の理由のひとつに彼女が幹部になってしまったということがある。わたしは幹部になれるような器でもないしなりたいとも思わないんだけど、彼女と"あの子"が幹部になってしまったことによりわたしはひとりで置いていかれてしまうんじゃないかなって思ってしまう。まあたぶん実際そうだろうなぁ。一緒にいる時間が長ければ必然的に仲も良くなる。それがどうしても寂しい、っていうこの感情がダサい。なんでこんな人間になってしまったんだろうか……。
   そんなイライラをぶつける正当な理由が欲しくて、小さなことを気にしては腹を立てて、幹部なのにという最低な言い草で責めようとしているわたしが一番最悪。彼女たちをみることすらつらくて、というか二人でいるところをみると、本格的にわたしが置いていかれてしまっているのが物理的にわかってしまう。彼女がわたしの目をみて話そうとしてるのを、わたしは横目に疲れたふりをしてイライラをかくしながら当たり障りのないことを言う。これが良いこととは絶対に思わないし結果として一番自分が恐れていることへの一手になってしまうのは百も承知なのだけれど自分が負の感情を背負っていると相手にもそれを与えようとする最低な人間なのよわたしは。にこにこしながらこっちをみて話す彼女が脳裏に浮かんでは涙が滲む。なんなんだよこれ……。
   部長で、歌も上手くて、可愛い彼女はわたしとは遠い存在。共通することはなにもなくて、それが悲しい。でも変えられない事実。いままでどこに自信を感じてたんだろう。でも今のままじゃもう、話すことすらきつい。